推しと「推し活」について

こんにちは。REASNOT編集長の紅葉です。

私がこの記事を書こうと思ったきっかけは、昨年読者の皆様から募集した「読みたい記事」の中に、「ライブハウスに通うのが趣味ですが、推しとの距離感が上手く掴めません。アドバイスをください」というリクエストがあったことです。匿名希望さん、ありがとうございます!

 *

……と言いつつも私は、このリクエストに上手くお答えできる自信がありません。私にとっての「推し」や「推し活」の意味合いと、世間一般のそれが少し違っているように感じるからです。

「推し活」全盛期の現代において、私の価値観は偏っているというか、古いというか。。

だから昨年は、このリクエストを取り上げませんでした。申し訳ありません。

でも最近、リクエストを読み返して「私の価値観をお伝えすることで、直接的な解決にはならなくても、考えるきっかけになるのでは?」と思いました。

まったくもって期待外れの話をするかもしれませんが、ご了承ください!

それでは以下、全ての章題に「私にとって」を省略して書いていきます。

1.推しとは「雲の上の存在」である

これは「相手が『推し』になったから、雲の上の存在のように感じる」という話ではありません。そもそも自分の生活には1ミリも関わりのない、遥か彼方にいる相手でないと、私は推せないのです。

具体的に説明しますね。

たとえば、YouTubeにゲーム画面だけを映して実況しているAさん。

私は、たまたま彼の配信を見て、「素敵な声だな」「喋りが面白いな」「ゲームプレイ上手すぎる」といった感動を覚え、好きになりました。彼の顔も、本名も、普段どんな生活をしているかも知りません。知りたいとも思いません。彼が実況者として、配信や動画の中で提供してくれる情報だけで満足です。

彼にとって私は、コメント欄に現れたり消えたりする有象無象の一人です。特に秀逸なコメントをしたり、高額なスーパーチャットを投げたりするわけじゃないので、きっと私の名前なんて覚えてないでしょう。覚えてほしいとも思っていません。

それから、有名芸能事務所に所属するアイドルのBさん。

なんとなく見たドラマ(原作が好き)に彼が出演していて、「顔もスタイルも良すぎる」「演技が上手い」「主題歌も歌ってるの?え、、カッコいいじゃん」といった感動を覚え、好きになりました。私は彼の素の性格も、本名も、普段どんな生活をしているかも知りません。知りたいとも思いません。彼がアイドルとして、舞台上で見せてくれるものだけで十分です。

彼にとって私は、アリーナやドームでのコンサートに集まる数万人の観客の一人です。もしかすると、うちわやペンライトを掲げる私の姿に気づいて、微笑んだことがあるかもしれません。でも、きっとすぐに忘れるでしょう。こちらとしても、覚えてほしいとは思っていません。

なんとなくでも、分かっていただけたでしょうか?

私が「推し」に選べるのは、AさんやBさんのような、互いの人生には全く関わらない、ただその活動においてのみ接点を持つ人です。遠いからこそ推せる、と思っています。

2.推し活は、自分の生活を豊かにするために行うもの

引き続き、「ゲーム実況系YouTuberのAさん」と「アイドルのBさん」のたとえを使って説明します。

私はAさんのメンバーシップに加入したり、スーパーチャットを投げたりします。それは「長くメンバーシップに加入して古参であると自慢したい」「スパチャコメントを拾ってほしい」「私の存在を認知してほしい」といった理由からではありません。

私は、自分の余暇に彼の実況を見て、楽しんでいます。これからも楽しみ続けたいです。もし彼が「配信をやっていても、あんまり儲からないな」とか「メンバーシップの人数が増えないな。俺って需要ないのかな」と思ったら、活動を辞めてしまうかもしれません。

だから私はメンバーシップに加入し、スパチャを投げます。たしかにそれは彼への応援ではあるけれど、大元にあるのは「私の娯楽が続きますように」という願いだけです。

「彼が有名になれるように貢ぐわ!」「ゲームの購入費や配信機材代にしてね!!」「同時接続数や再生回数を増やしてあげなくちゃ」といった思いは、1ミリもありません。

私はBさんのコンサートへ行き、うちわやペンライトを振ります。ファンクラブにも入ります。彼がCDを出せば1枚は買うし、楽曲やMVが配信されたら、何度も繰り返し視聴します。

それは私が、彼の提供するコンテンツをめいっぱい楽しみたいからです。

真っ暗なアリーナやドームより、ペンライトやうちわでキラキラしている方が綺麗だから、自分もその一部になります。コンサートのチケットを手に入れたり、限定動画を見たりするために、ファンクラブへ入ります。好きな曲は何回も聴いて覚えたいし、素敵なMVは何百回見ても飽きません。

そこに「彼が有名になれるように貢ぐわ!」「衣装代や美術セット費用にしてね!!」「オリコンの上位に入れるようにしてあげなくちゃ」といった思いは、1ミリもありません。

私にとって「推し活」とは、上記のように、あくまで自分の生活を豊かにするためのものです。相手の成功や幸福を願って行うものではありません。

さらに根本的なことを言えば、私がお金を払うのは、彼らが提供する「ゲーム実況配信(動画)」や「コンサートやグッズ」に、「お金を払ってもいいだけの価値」を感じた時だけです。

普段、スーパーに行って、「キャベツ1玉300円なら買ってもいいな」とか「牛肉は美味しいけど1000円は高いな」とか、値踏みするのと同じです。

自分の生活水準を考えながら、必要な量の娯楽を、適正な金額で購入するだけです。

3.「推し」は、水族館のペンギンと同じ。

例によって「ゲーム実況系YouTuberのAさん」と「アイドルのBさん」のたとえを使って説明しますが、その前に。

皆さんは、水族館のペンギンは好きですか?

私は好きです。可愛いから。

水槽で泳いでいるのを見るもよし、氷の上に立ち尽くしているのを眺めるもよし。気合の入った水族館だと「おさんぽ」と称して、彼らが列になって歩くところを見られます。「握手」と称して、翼を触らせてもらえるイベントに参加したこともあります。

私の家では、ペンギンを飼うことはできません。彼らが泳げる水槽も、立って歩ける氷も、餌になる魚も用意できないから。自分では飼育できない可愛い存在の、可愛いところだけを愛でられる。お金を払うだけで、面倒なところは全部スキップできる。

私にとって、AさんもBさんも、このペンギンと変わりません。

YouTubeに接続すれば、Aさんがゲームを実況しています。真剣に視聴するもよし、部屋の静けさをかき消すための作業用BGMにしてもよし。いずれにせよありがたいです。

彼にお金を払うだけで、私の実力では到底クリアできない難しいゲームのシナリオを、最後まで楽しめます。そのゲームに関する豆知識や、時事ネタも手に入ります。彼は、膨大な時間や手間暇をかけて情報を集めておいて、その苦労をちらりとも見せず、おもしろおかしく喋ってくれます。

コンサートに行けば、Bさんが歌って踊っています。どれだけ見つめても、犯罪には問われません。イベントに行けば、目の前でサインを書いてくれたり、握手をしてくれたりします。ちょっとした恋人気分を味わわせてくれることもあって、天にも昇る気持ちです。

彼だって、普段はただの一人の人間です。24時間365日そばにいれば、幻滅する瞬間も多々あるでしょう。でも、コンサートやイベントにいる間だけは、完璧な「アイドル」でいてくれる。最高の夢を見せてくれるんです。

普通に恋人を作ろうとすると、まず異性と知り合い、デートに誘って仲良くなり、勇気を出して告白……というプロセスが必要です。付き合った後、関係を維持するのも大変です。でもアイドルなら、全部スキップできます。お金を払ってコンサートに行けば、いくらでも「好き」って言えるし、「好きだよ」って言ってくれるし、甘い視線を交わし合えます。とってもインスタントに幸せになれます。

私にとって「推し」とは、上記のように、自分に都合よく消費できる存在です。本来ならば必要な努力等を、お金によって省略し、楽しいところだけを楽しませてくれる、便利グッズです。

4.「推し活」は、非人道的な行為である

最後まで「ゲーム実況系YouTuberのAさん」と「アイドルのBさん」のたとえを使って説明します。

私は、Aさんのことを知っている友人に会うと、彼のことを好き放題に語ります。

「最近の配信内容、マンネリ化してるよね。何か新しいことしてほしいな」「コメント欄の民度悪くない?Aさんだけのせいじゃないけどさ、配信主として、適度にBANして治安を保ってほしいわ」と。

さて。もし私が友達と、自分の母親について下記のような会話をしていたとしましょう。

「最近の夕飯の内容、マンネリ化してるのよね。何か新しいメニュー作ってほしいな」「リビングがちょっと汚いんだ。ママだけのせいじゃないけどさ、主婦として、こまめに掃除してほしいわ」

……えー、最悪ですね。この娘は、人間性が終わっていますね。自己中な我がまま娘です。

夕飯の内容に不満があって、新しいメニューが食べたいなら「私が作るよ!」とか、「外食しない?」とか提案すればいいのです。リビングが汚くて困っているなら、自分が掃除すればいいのです。

自分の参加しているコミュニティなのだから、主体性を持って行動すべきです。

……でも、不思議なことに、私(と友達)とAさんの間では、上記のような批判は起きません。何故なら私たちは、対等ではないから。私は消費者で、Aさんは配信者だから。

私は、Bさんのことを知っている友人に会うと、彼のことを好き放題に語ります。

「最近ちょっと太ってきてない?1年前のビジュアルに戻ってほしい」「先月、同じ事務所のCさんが結婚発表したけど、Bさんは大丈夫だよね?いやだけど、もし結婚するなら、相手は爆美女がいいな」と。

さて。もし私が友達と、自分の息子について下記のような会話をしていたとしましょう。

「最近ちょっと太った気がするのよ。1年前のビジュアルに戻ってほしい」「先月、小学校の同級生のDちゃんが結婚したってよ。うちの息子は大丈夫かしら?もし結婚するなら、相手は爆美女がいいな」。

……えー、最悪ですね。この母親は、人間性が終わっていますね。過干渉な毒親です。

他人が容姿について言及するのは、繊細な問題です。親子であっても、不用意に指摘すべきではないし、言葉には気を付けなくてはいけません。また、恋愛も結婚も個人の問題です。「こんな相手はダメ、こんな相手が良い」と口を出すなんて、自他境界が曖昧過ぎます。

まったく。この母親は、息子のことを「自分の持ち物」だとでも思ってるんでしょうかね?

……でも、不思議なことに、私(と友達)とBさんの間では、上記のような批判は起きません。何故なら私たちは、対等ではないから。私は消費者で、Bさんはアイドルだから。

(※明確に病気で太ったor瘦せた、結婚予定相手が明らかな犯罪者、とかなら話は別です。本人の意思を無視してでも助けてあげないといけない場合もあるでしょう)

1~3でも語ってきたように、相手が人間であることを忘れて、商品=物として扱って、お金を払うという行為なんですよね。「推し活」って。

実際、一部の富豪が、役者などを所有物のように扱ってきたことは史実です。現代は、その行為や価値観が一般庶民にも広まってしまった、悍ましい時代なのかもしれません。

まとめ

いろいろと書いてきましたが、要約すると、私にとって「推し活」とは「推しを、自分勝手に消費する、非人道的な行為」です。だからこそ、「雲の上の存在」しか対象にできません。

だって、会おうと思えば会えて、手を伸ばせば触れられる距離にいて、気軽にメッセージを送れる相手に、そんな非人道的な行為はできないでしょう?

水族館のペンギンになら、無責任に「可愛いー!飼いたーい!」って言えるけど。

今、歩いている道ですり寄ってきた野良猫に、「可愛いー!飼いたーい!」なんて、言えないよ。

気持ちだけで生きていていい小学生じゃないんだから。言葉にする前に「自宅で飼えるのか」「餌代などを支払えるのか」「家族の了承はとれるのか」「今後数年~数十年、責任を持って世話できるのか」とか、考えないと。変に期待させて、見捨てることになったら、余計に酷いもの。

えー、つまり。このような価値観を持つ私が、匿名希望さんに、敢えてアドバイスするとしたら。

「距離感に悩むくらいなら、『推し活』なんてしないほうがいい!」です。

推し活って、本当に無意味な散財ですから。キャバクラやホストに通ったり、ソーシャルゲームに課金しまくったりするのと変わりません。何も得るものはないし、後に残るものもない。生産性皆無です。

同じお金を使うなら、カラオケに行って歌うとか、ダンスレッスンに通って踊るとか、ゲームを買って遊ぶとか、「自分の身体や頭脳を使って何かをする」娯楽の方が、まだマシです。

……うん。身もふたもないですね。偏った意見で申し訳ありません!

 *

もちろん生産性皆無だっていいのです。意味がないものに価値はない、なんてことはないです。

それを心から信じられる状態であれば。

今回はあまりお役に立てなかったかもしれませんが、REASNOTは常に、あなたがあなたらしく、あなただけの夢や「好き」とともに生きていけることを願っています。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

おまけ

ここからはFan Club会員の方向けに、ちょっとした小噺を。