広島県を拠点に活動しているギター弾き語りシンガーソングライター、倉橋光佑(くらはし・こうすけ)。幼いころからギターが好きだった彼は、高校卒業後に上京し、本格的に音楽を学んだ。一度は音楽から心が離れたが、地元での出会いをきっかけに再起。24年に再び上京することを決めた彼の夢に迫った。
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音楽だけは頑張れた
倉橋は、子どものころ、歌うことが苦手だった。
「母は歌が好きで、よくカラオケに連れて行ってくれましたが、僕は聴いているばかりでした。小学校の音楽の授業でも、歌わずに立っているだけのときがありました。なんだか恥ずかしかったんです」。
一方で、ギターには心惹かれていた。
「最初に興味を持ったのは小4のときです。当時は手が小さくて、弾きたくても弾けなかったので、買ってもらえませんでした」。
ギター熱が再燃したのは、中学1年生のときだ。
「テレビで『20世紀少年』を見たんです。T.Rexの『20th Century Boy』がカッコよくて、改めて家族に『ギターが欲しい』と訴えました」。
それからまもなくして、祖父の部屋でエレキギターを見つけた。
「誰が持ってきてくれたのか、未だに分かりません。アンプもなかったけれど、ギターを触れることが嬉しくて仕方ありませんでした。『20th Century Boy』のリフを耳コピして、夢中で弾きまくりました」。
独学には限界があったため、ギター教室に通ったり、近所の楽器店へ足を運んだりして、腕を磨いた。
「イオンモール広島府中の島村楽器さんには、大変お世話になりました。毎日のように通って、閉店ギリギリまで試奏させてもらってたんです。『人前で演奏してみる?』と提案してくださって、イオンモールの入り口で弾かせていただいたこともあります」。
当時は、ONE OK ROCKなどの邦ロックや、Slipknotをはじめとした海外のメタルバンドの楽曲を好んでコピーしていた。
「中高には軽音部がありませんでしたが、中1の後半から中3まで、友達とロックバンドを組んでいました。島村楽器さんが開催していた『HOTLINE』というコンテストに、僕がギターと歌、友達の一人がカホン、もう一人がトロンボーンっていう編成で出演したこともあります」。
アコースティックギターを弾き始めたのは、中学3年生のときだ。
「合唱の伴奏をしたことがきっかけで、のめりこみました」。
高校の文化祭で、さらなる転機が訪れる。
「それまでは、ギターが好きなだけでした。だけど文化祭だし、ちょっと歌ってみようかなって気分になって、サスケの『青いベンチ』と、木山裕策の『home』を弾き語ったんです」。
すると、想像を超える反響があった。
「演奏が終わると大歓声が上がって、先輩や同級生から握手を求められました。最初は『こんなに褒められていいのかな』と思いましたが、『俺って歌もいけるんじゃない?』と、自信を持つようになりました」。
高校2年生のときには、合唱祭でピアノの伴奏を務めた。
「立候補者が誰もいなかったので、やってみるかと。それまで、ピアノは一度も弾いたことがありませんでした。一ヶ月間、めっちゃ練習して、なんとか本番を成功させることが出来ました」。

そのころから、進路選択に悩み始めた。
「担任の先生や家族には、就職を勧められました。僕も、音楽に対してそこまで本気じゃなかったので、『公務員を目指そう』と考えました。体を鍛えるのは好きだし、消防士がいいんじゃないかなって」。
しかし、予備校に通ううちに、違和感が募っていった。
「僕は学校の勉強も運動も大してやってこなくて、予備校も続けられませんでした。唯一、音楽に関することだけ、積極的に頑張ってこられたことに気づきました。『これからも音楽をやっていきたい』と強く思いました」。
高校3年生の春に、インターネットでワタナベエンターテイメントカレッジの入学オーディションを知った。試しに応募してみたところ、見事合格。
音楽を学ぶために、上京することを決めた。
上京と帰郷を経て、音楽と向き合う
2017年に上京した倉橋は、当時を「地獄だった」と振り返る。
「18歳の僕には、根拠のない自信だけがありました。でも実際の授業で、ライブパフォーマンスなどの審査を受けると、クラスで下位の評価でした」。
オリジナル楽曲の制作にも苦戦した。
「それまで、作曲をしてみたいと思ったことすらありませんでした。授業でDTMを教わって、なんとか形にできるようになりました」。
理想と現実のギャップに悩みながらも、カレッジ主催の発表会で歌ったり、仲間と路上ライブを行ったりして、切磋琢磨した。
本格的に弾き語りを始めたのは、21歳ごろだ。
「カレッジにいたころは、サポートの方に伴奏してもらっていました。でも今後、シンガーソングライターとしてやっていくなら、中学のころからやってきたギターで勝負したかったんです」。
折悪しくコロナ禍に突入したが、インターネットを活用した。
「ひたすら家で動画を撮って、SNSに投稿しました。カバーやオリジナルはもちろん、ギターを弾くだけとか、色んな動画の作り方を研究しました」。
しかし、次第に、音楽を続けることに抵抗を感じ始めた。
「家賃を払うためのアルバイトばかりしていて、『何のために東京にいるんだろう』って思っちゃったんです。一度、実家に帰って、ゆっくりしようと思いました」。

21年に帰郷。しかし、じっとしていた期間は短かった。
「何もしない生活は、一ヶ月で飽きました。せっかくなら自分のできることを生かしたくて、ミュージックバーで働き始めました。職場で自分の歌を歌ったり、お客さんのためにギターを弾いたりするうちに、様々な人と出会って、素敵なご縁を幾つもいただきました」。
22年4月には、オリジナル楽曲『プロポーズ』が、広島ブライダル館のテレビCMに採用された。
「やっぱり、自分には音楽しかない。『もう一度、音楽で上を目指したい』と思うようになりました」。
代表曲『プロポーズ』について
現在の倉橋の代表曲『プロポーズ』は、2021年秋に制作した。
「たまたま、ブライダル館の方がお店にいらっしゃって、僕の歌声を気に入ってくださったんです。その日のうちに3曲作って、CMに採用していただいたのが『プロポーズ』でした」。
ギターでコードを鳴らしていると、自然に、メロディと歌詞が生まれた。
「誰よりもまず、自分が感動する歌詞じゃないと、人を感動させることはできないと思っています。基本的には実体験から着想を得ますが、ストレートすぎると恥ずかしいので、色んな捉え方ができるように仕上げています」。
『プロポーズ』において、大きなテーマになっているのは、感謝だ。
「結婚したい相手にプロポーズできるのは、自分が生きてきたからだと思います。生きてこれたのは、家族とか、仕事の上司とか、周りの人々のおかげです。だからまずは、結婚したい相手も含めて、みんなに『ありがとう』を伝える楽曲にしました」。
1番の「温かい風」は楽しい思い出を、「冷たい風」は喧嘩した日などを表し、「それでも笑ってくれたよね」という感謝でまとめる。
「僕はまだ結婚したことはないけれど、中学生のときは反抗期で親を困らせたし、今も音楽活動をやっていくなかで、色んな人に迷惑をかけています。それでも応援してくれる人たちへの感謝の気持ちを、歌にしました。共感していただける方がいたら嬉しいです」。
もう一度、夢に挑戦したい
2022年8月27日、28日に開催された『ひろしま国際平和文化祭 広域連携シンボルイベント in 中工場』にてオープニングアクトを務めたことを皮切りに、本格的なライブ活動を再開。
同年11月27日には、広島市中区のライブハウス・Leoにて、初のワンマンライブ『LIVEONEMAN LIVE 初心 〜Acostic Live~』を成功させた。
23年6月には、例年100万人以上を動員する県内最大のイベント・ひろしまフラワーフェスティバルへ参加。8月19日には、安芸郡府中町のイタリアンレストラン・CARNELIA IL MATTOにて、ディナーライブに出演した。
TBSテレビ系列の中国放送が運営するRCCラジオや、地域密着ラジオFMちゅーピー、FMはつかいちなど、メディアへの出演回数も増えた。広島市内での路上ライブや、SNSへの動画投稿も再開し、活動の幅を広げている。
「10月29日には、SIXONEというライブハウスで開催されるワインフェスに参加します。広い会場で、対バンにはバンドさんも多いですが、ギター一本でかましてきます」。

さらに、11月26日には、『Birthday one-man live「Progress」』の開催が決定している。
「実は来年、もう一度上京することを決めました。東京に行く前、最後の広島でのワンマンになります。ここで過ごした日々の集大成にできるよう、がんばります」。
5年後、10年後は、どんな自分になっていたいですか?と聞いてみた。
「武道館で弾き語りライブをしたいです。広島に帰って、お世話になっている事務所の社長や、バーのマスターと初めてお会いしたときから、ずっと叶えたいと思っている夢です。あのときは、お酒を飲みながらの他愛ない話だったけど、僕は勝手に約束した気分でいます」。
周囲への恩返しの意味も込めて、武道館に立ちたいと語る。
「バンド編成ではなく、弾き語りで、自分ひとりの力で。何もなかった自分が、ここまでできるようになった、という姿を見せたいです」。
倉橋が音楽をする理由は、「お金を稼ぎたい」「注目されたい」といった野心ではない。
「誤解を恐れずにいえば、貧乏には慣れています。武道館って、お金を積んだらライブができる場所でもないですよね。武道館に相応しい、世代問わず、世界中の人に支持されるアーティストになりたいんです」。
人を感動させることが、自分の使命だと考えている。
「もちろん、気まぐれで曲を作ったり、自分のためだけの歌詞を書くこともあります。でもやっぱり、僕の歌で泣いてくれる人や、カッコいいと思ってくれる人に向けて演奏したいと思っています」。
そのためにも、24年からの再挑戦に燃えている。
「18歳で上京したときは、右も左も分からない状態でした。今は違います。一度広島に帰ったことで、度胸がついたし、オリジナル曲も増やせたし、大きく成長できました。リベンジというのもおかしいですが、今度は行ける、絶対やれるって信じています」。
夢を追って上京しても、思うように行かず、地元へ帰ってしまう人は多い。地に足をつけ、真の自信を得た彼の再挑戦が、報われることを願う。
text:Momiji
INFORMATION
2023.11.26(Sun)
Birthday one-man live「Progress」
[会場] Live House Leo(広島県広島市中区流川町8−11 中川ビル 2)
[時間] open 16:00 / start 17:00
[料金] 来場 ¥3,000(+1drink ¥600) / 配信 ¥2,000
[詳細] http://www.kosuke-kurahashi.com/progress.html
WEB SHOPにてCDを販売中!
http://www.kosuke-kurahashi.com/rocks_shop.html
代表曲『プロポーズ』、各種ストリーミングサイトにて配信中!
◎倉橋光佑公式ページ
http://www.kosuke-kurahashi.com/