東京都を拠点に活動しているシンガーソングライター、優華(ゆうか)。学生時代にロックバンドなどで歌っていた彼女は、30歳を間近にしてピアノ弾き語りの魅力に気づいた。「人生をテーマにオリジナル曲を作っている」と語る彼女が、現在の音楽活動に辿り着くまでの経緯とは。
目次
母との別れと、自身の病気を乗り越えて
音楽好きな一家に生まれた優華は、兄の影響を受けて育った。
「私の母はバイオリンが好きで、兄に習わせていたんです。私は、なんとなくそれを耳コピして、近くにあったピアノを弾いていました。その様子を見た兄のバイオリンの先生が『この子は耳がいいから、ピアノを習った方がいい』と言ってくださったそうです」
だが当時は、たいして興味を持てなかった。
「指の運動レベルの習い事でしたね。3歳くらいから始めたけれど、小学校に上がってしばらくして、やめてしまいました」
中学校と高校では、剣道部に所属した。
「兄が剣道部だったんです。道場にも通いました。厳しく指導していただきましたが、あまり強くはなれませんでした」
歌うことが好きになったのは、高校生の時だ。B’zやマリリン・マンソンを知り、ロックの世界にハマっていった。
「大学では軽音楽部に入って、DIR EN GREYとか、流行の楽曲をコピーして歌っていました。ハードロックが好きだったので、シャウトやデスボイスを研究しましたね。男性よりもカッコいいボーカリストになりたかったんです。ヘドバンしすぎて、むちうちになったこともあります」

大学卒業後は、社会人として就職する一方で、趣味として音楽を続けた。
「新卒では商社に入りましたが、つまらなかったので、1年ほどで辞めました。その次は、大手百貨店の美容部員になりました。なかなか大変な職場でしたが、社会人としての礼儀や、言葉遣いを身に着けることができました。そういう生活の一方で、音楽も諦めきれなくて、ボイストレーニングに通っていました。今思えば、与えられた課題曲を練習するばかりだったけれど、声を出すことはストレス解消になっていたかもしれません」
忙しく過ごしていたある日、母が亡くなった。
「私が23歳の時です。気を紛らわせたくて、『もっと音楽活動をがんばらなきゃ』と思いました。自分で曲を作ろうという発想はなかったので、作曲家の人に頼んでオリジナル曲を作ってもらって、ライブ活動を始めました」
当時は、カラオケ音源を流しながら歌うスタイルだった。
「バンドっぽい音楽が好きでしたが、メンバーを集められなかったんです。でも、バンドばかりブッキングされているライブハウスで、一人でオケを流しながら歌うのは、なかなかアウェイでしたね。精神的に不安定だったこともあって、長くは続けられませんでした。活動期間は2年くらいかな」

転機が訪れたのは、30歳ごろのことだ。
「なんとなくSNSを見ていたら、ピアノ弾き語りで音楽活動している人を見つけたんです。それまで私にとって音楽=バンドだったので、びっくりしました。『こういう方法があるんだ。一人でも音楽活動できるじゃん』って、目から鱗が落ちました。幼いころにピアノを習っていたこともあり、『私も弾き語りをしよう!』と思いました」
ちょうどそのころ、長く通っていたボイストレーニングスクールをやめ、東京都国分寺市の音楽教室・ I STUDIOへ通い始めた。
「I STUDIOの石田先生は、ピアノ弾き語りも、作曲も、DTMも、全部教えてくださいました。先生に出逢えたことが、私の音楽活動の転機です」
最初はヒントを貰いながら曲を作っていたが、だんだんと、一人で作れるようになった。
「6曲目のオリジナル曲が完成したころに『そろそろライブがしたい』と先生に相談したら、東中野にあるオルトスピーカーという店のオープンマイクを紹介してくださいました」
オープンマイクに参加した当初は、上手く歌うことができなかった。
「がちがちに緊張していたし、ずっとロックバンドで歌っていたので、しっとり歌うことが難しかったんです。色んな人に『変な歌い方だ』と言われて、落ち込んだこともありました」
それでも、彼女は諦めなかった。
「これから年齢を重ねていくなかで、音楽を続けるには、ピアノ弾き語りしかない。『弾き語りできるようにならなければ!』と、意気込んでいました」

それから半年ほどオープンマイクに通い、いよいよ本格的にライブハウスへ出演しようとした。しかし、健康上の理由から立ち止まらざるを得なくなった。
「2019年の終わりごろに、大きな病気が見つかったんです。ちょうどコロナ禍が始まった時期に手術をしました。手術後は声が出ないし、寝返りを打てないし、歩けませんでした。呼吸の仕方すら忘れちゃって、大変でした」
手術から一年ほど経ち、徐々に回復してきたところで、焦ったことが仇となる。
「本当はまだ安静にしていなければならなかったんですが、早く治したくて、筋トレやランニングを始めたんです。そうしたら悪化しちゃって、先生に『これ以上ひどくなったら再手術が必要だ』と怒られました。反省して、さらに一年、静かに療養していました」
闘病中も「またオープンマイクに行きたい。歌いたい」という気持ちは衰えなかった。
「声は出せませんでしたが、曲は作り続けていました。それしかなかったんです。ある意味、心の支えだったかもしれません。病状が落ち着いてからは、自分のオリジナル曲を全部弾けるようにしようと思って、毎日3時間は練習していました」
無事に回復した後、23年の夏ごろから音楽活動を再開した。
「4年ぶりにオルスピのオープンマイクへ行ったら、マスターの赤井さんが私のことを覚えてくれていたんです。感動で泣きそうになりました。その日、赤井さんに2曲ほど演奏を聴いてもらって、『その腕ならどこでもライブできるよ』と太鼓判を押してもらえたことが、本当に嬉しかったです」
3つのYouTubeチャンネルと、人生をテーマにした楽曲群
2025年1月現在、優華は3つのYouTubeチャンネルを運営している。一つ目は、バイクで旅する様子を収めたモトブログ「アリスちゃんねる」だ。
「母が亡くなった時、しばらく仕事に行けなくなって、美容部員は辞めたんです。その後、『せっかくなら、次はやりたいことをやろう』と思って、ヘアメイクを勉強しました。ビジュアル系のバンドマンのヘアセットなどを担当していたんですよ。ただ、ストレスも多い職場でした。その反動もあって、バイクの免許を取りました。もともと、『バイオハザード』という映画で、主演のミラ・ジョヴォヴィッチがバイクに乗る姿にあこがれていたんですよね」
バイクでの一人旅は、自分の限界への挑戦でもある。
「今でもバイクに乗るのは怖くて、夜道を走るときなんか、手がカタカタいってます。『怖いけど行ってみたい、行ったら何か得られるかも』って気持ちで動いていますね。またYouTubeにも動画を投稿できたらいいなぁ」
二つ目のYouTubeチャンネルは、様々な料理のレシピを紹介する「Happy cooking」だ。
「私の母は、料理をすることが好きでした。私もたまに手伝っていて、『母の料理が一番美味しい』と思っていました。母が亡くなり、色々な意味で落ち込んで、『食べたいものが見つからない』と呟いたら、兄が『優華はお母さんの料理が好きだったから、今は食欲ないんだよ』と言ったんです。そこから『じゃあこれからは、私自身で美味しいものを作ろう』と考えるようになりました」
母が残したレシピや、家にあった料理本のレシピを片っ端から作ってみた。さらにテレビの料理番組を録画したり、料理教室に通ったりした。
「料理教室を卒業して、人に教えられる資格もとりました。2023年からは、料理人として、家の近所の店で働いています。今の目標は、『Happy cooking』のチャンネル登録者数を1万人に増やすことと、レシピ本を出すことです!」
三つ目は、シンガーソングライターとしてオリジナル曲などを投稿している「優華の弾き語りチャンネル」だ。
25年1月までに、彼女は22曲のオリジナル曲を発表してきた。なかでも代表曲と呼べるのが『100歳の私からの手紙』だ。
「自分が病気になって、死ぬかもしれないってなった時、『昔の自分に思いを伝えたい』と感じたんです。『お前は大丈夫だ』ってエールを送ろうと。自分の正直な気持ちを書きました。長生きしたいという願望を込めて、敢えて『100歳の私』からの手紙ということにしています。今も、一番大事にしている楽曲です」
YouTubeでは、フルアレンジ音源を公開している。
「私の頭の中では、最初からこのような曲調でした。作曲している時から、頭の中ではギターやベースが鳴っていたんです。昔、ロックバンドでボーカルをしていた経験のおかげかもしれません。せっかく動画を投稿するなら、完璧な状態の楽曲を聴いてもらいたいので、DTMやレコーディングもがんばりました」
実は、ライブでも音源を活用しようとしたことがある。
「ピアノ弾き語りは、どうしてもアコースティックな雰囲気になってしまいます。ドラムやベースラインの音源を流しながらの弾き語りも試しました。でも賛否両論あって、結局やめてしまいました。ピアノ一本の方が、 説得力があるし、カッコいいかなと思って」
全ての人にエールを送りたい
2023年夏からは、1~2ヶ月に1本のペースで、都内のライブハウスに出演している。
「あまりライブをやりすぎても、創作の時間がとれないんですよね。曲を作って、アレンジして、ピアノを練習して……。今のペースがちょうどいいかな。YouTubeも定期的に更新していきたいですね」
今後の目標を聞いてみた。
「まずはライブ活動を継続すること。それから、ピアノアレンジを上達させて、鍵盤の隅から隅まで活用すること。誰が聴いても『凄い』と感じる演奏ができる、素敵なシンガーソングライターになりたいです」
健康に気を付けつつ、柔軟な思考を身に着け、自分を磨いていきたいと語る。
「音楽も料理もバイクも、それ以外でも。何でも挑戦したいし、極めていくのが好きなんです」
優華は、彼女自身の人生をテーマにして、楽曲を制作している。
「私は母を早くに亡くしたり、病気で死にそうになったり、辛いことを沢山乗り越えてきました。絶望していた時期もありますが、今は、全てが武勇伝だと思っています。もちろん人によって悩みは様々です。でも、私だからこそ『今の悩みは大したことないよ』って伝えられることがあると思っています」
彼女の歌は、彼女自身だけでなく、多くの人を救うことだろう。
文:紅葉
INFORMATION
2025.02.11(祝火) 『またね。で終わる今日』
[会場] 祖師谷大蔵エクレルシ(東京都世田谷区砧8-8-26 2F)
[時間] 開場 18:30 / 開演 19:00
[料金] 来場 ¥3,000(+1drink) / 配信 ¥2,500
[出演] iKu / 優華 / 藤江ゆか
2025.03.22(土)
[会場] 茅場町musicariumTAKAITOW(東京都中央区新川1-22-13 3F)
[詳細] Comming soon…
2025.04.08(火)
[会場] 立川Heart Beat(東京都立川市錦町2-1-35 B1F)
[詳細] Comming soon…