都内を中心に活動しているギター弾き語りシンガーソングライター、エナミハナ。。小学1年生から賞レースに挑戦し、2018年にはNHKのど自慢チャンピオン大会にも出場した彼女は、高校生になるとオリジナル曲を作り、ライブハウスのステージへ立つようになった。彼女が歌う理由とは。
賞レースでカバー曲を歌うことが辛くなった
徳島県出身のエナミハナ。は、物心ついたころから、歌うことが好きだった。「Superflyさんや、絢香さんのカバーをしていました」。
小学1年生から、様々な歌のコンクールや大会へ出場していた。
「父も歌うことが好きだったので、色んな情報を調べてくれました。地元で開催されている大会に毎年応募して、優勝も何度か経験しました」。
学校では合唱部に所属していた。「小学校から高校まで合唱をやって、小中では副部長も務めました。大人数で一つの目標に向けて頑張るのは楽しかったし、いい思い出になっています」。

もっと歌が上手くなりたい、と考えた彼女は、小学5年生からボイストレーニングスクールへ通い始めた。
「特に絢香さんが好きで、たくさん歌っていたので、いつの間にか歌い方が似てきていました。ボイトレの先生に『絢香はふたり要らないから』と指摘されて、意識が変わりました」。
2017年4月16日には、徳島県鳴門市で開催された『NHKのど自慢』へ出場。絢香の『Why』を歌い、チャンピオンとなった。さらに、翌年3月3日に放送された『NHKのど自慢チャンピオン大会2018』の出場者にも選ばれ、NHKホールで歌唱した。
「錚々たる審査員の方々が聴いてくださり、とりわけ秋元康さんに『音楽を続けてください』と言っていただいたことは、心強かったです」。
しかし、同じころから、歌うことが苦しくなっていった。
「大会などの場で、カバー曲を歌って評価されるということに対して、プレッシャーを感じるようになりました。自分じゃない誰かが作った歌を、なんとか上手く歌わなくてはいけないっていう義務感が強くて、優勝したり、褒めていただいたりしても、素直に喜べなくなったんです」。
そんなとき、ボイストレーニングの課題曲として、椎名林檎の『丸の内サディスティック』と出会い、衝撃を受けた。
「ただただカッコよくて、『私もこんな曲を作ってみたい!』と思いました」。

それまで、楽器を弾いたことはほとんどなかった。小学校低学年のころにピアノを習おうとしたことはあったが、長続きしなかった。しかし、曲を作りたいという思いに突き動かされ、ギターを習うことにした。
「親が応援してくれて、月2回、東京にある音楽塾へ通い始めました」。
はじめて人前で弾き語りを披露したのは、高校の文化祭だ。
「ONE OK ROCKの『Wherever you are』、米津玄師の『アイネクライネ』、それとTWICE『TT』をやりました。ギターを始めて4ヵ月くらいのころでしたね。成長するきっかけになりました」。
同時期から、ライブハウスにも出演するようになった。
ソロはもちろん、ドラマーの山口幸祐氏とのユニットや、幾つかのバンドにボーカルとして参加。徐々にライブの回数を増やしながら、オリジナル曲の制作に取り組んでいった。
シンガーソングライターを志して上京
「はじめての曲作りは大変でした。覚えたての簡単なコードを鳴らしながら、サビのメロディを作ったことを覚えています。歌詞は、好きな人に振り向いてもらえない、切ない感じのラブソングにしました」。
完成した楽曲『YOU』を引っ提げ、19年9月29日に徳島郷土文化会館あわぎんホールで開催された『住友紀人プロデュース Tokushima Musicians’Fes. Project.2019』へ参加。作編曲家であり、サックス・ウインドシンセサイザー奏者としても活躍する住友氏がアレンジを手掛け、一日限りながら、豪華なバンドサウンドでの演奏を披露した。
「自分が作った曲とは思えないほどの仕上がりでした。素敵な経験をさせていただきました」。

高校2年生になると、新たなボイストレーニング講師に師事するとともに、進路について考え始めた。
「新しい先生は音楽大学を出ていらっしゃったので、私も音大を目指そうと考えました。しかし学費が高いので、特待生、それも一番上のランクの奨学金をもらえないと厳しい状況でした」。
レッスンを積み、入試に臨んだ。結果として試験には合格したものの、狙っていた特待生のランクには届かなかった。
「悩みましたが、音大へ行かなくとも、音楽の道で生きていく方法はあるんじゃないかと思いました。普通の大学へ行ったり、就職したりして諦めるより、東京へ行って頑張ってみようと決めました」。
地元のライブハウスを通じて在京のミュージシャンと知り合い、足場を固めながら、21年9月に上京。以降、月2~5本ほどライブを行い、ツイキャスでの配信や、路上ライブにも積極的に取り組んでいる。
「新宿や下北沢周辺で歌うことが多いですね。特に、東新宿真昼の月夜の太陽さんには、お世話になっています」。
自分を諦めないために、ステージに立ち続ける
彼女がこれまでに作ったオリジナル曲は、45曲ほどだ。
「自分が思っていることや、体験を曲にすることが多いです。昔、他人の曲を歌って賞レースを戦っていたからこそ、『自分の気持ちを自分の言葉で歌う』って感覚が楽しいんです」。
上京してからは、曲作りにも変化があった。
「環境が変わったことで、自分の意識が高まったのか、楽曲のクオリティが上がったと実感しています」。
特に気に入っている曲が『はぐれ者』だ。
「私は進学も就職もせず、シンガーソングライターとして音楽をやっていく道を選びました。一般に『普通』と呼ばれる道から外れただけでなく、東京には友達もいないし、何もかも一人でやっていかなくてはいけません。そうした不安や、落ち込んだ気持ちを詰め込んだ曲です」。
コロナ禍のなかで、看護師として働く姉に向けて作った曲もある。「大変なときに勇気づけたくて、曲を書きました」。
今後の目標を聞いてみた。
「近いうちに、音源の制作や、ユニットでの活動もしたいと思っています。あとは、ワンマンライブをしてみたいですね。もっと自分が成長して、お客さんを増やしてからですが」。
さらに長い目では、「自分が納得できる良い音楽を作りたい。そして、できるだけ長く歌い続けていたいです」。

「オリジナル曲を作り始めたことが、自分の転換期だったと思っています」と、彼女は振り返る。
「昔から『自分には、聴く人の心を動かせるような歌は歌えない』とか『自分じゃダメだ』っていう考えがありました。でもシンガーへの憧れは強くて、歌うことをやめられませんでした」。
カバー曲で競う賞レースと、オリジナル曲を披露するライブでは、緊張の質も種類も、成長速度も違うと語る。
「コンクールでは、その場で歌う技術だけが求められます。でも、ライブでは、ミュージシャンの人となりが全て、さらけ出されてしまいます。そのリスクのある感じ、自分の精神状態が直に伝わる感じが刺激的です。『次は新曲をやるぞ』とか、ちゃんと目標を立てると、さらに成長できる実感があります」。
ライブでは、本当の自分の力が試される。だからこそ、ライブシンガーでいたいと考えている。「いつ、どこで、どんなお客さんを相手にしても、胸を張って歌えるようにしたいです」。
「オリジナル曲を作って、ライブをして、聴いてくださる方々に『楽しかった』とか『感動した』って言ってもらえるパフォーマンスをする。それによって『もっと良い音楽を生み出せるかもしれない』、『憧れに近づけるかもしれない』って感じたい。自分自身のことを認めたくて、諦めたくなくて、歌い続けているんだと思います」。
彼女の進む先に、明るい未来が見つかることを願う。
text:Momiji