関東を中心に活動するピアノ弾き語りシンガーソングライター、亜ノあこ。幼少期からクラシックピアノを習っていた彼女は、高校時代の友人の誘いをきっかけに、ロックバンドのキーボーディストとして活動。さらに2020年から、ソロとして音楽活動を本格化させるに至った物語を聞いた。
ライブの面白さに目覚め、上京
大阪府高槻市出身の亜ノあこは、物心ついてすぐ、ピアノに興味を持った。
「同じマンションに住んでいた友達が、みんなピアノ教室に通っていたんです。『私もやりたい!』って母親にお願いして、『ダメ』って言われても、諦めませんでした」。
思いが通じ、クラシックピアノを習い始めたのは、6歳ごろだった。
「私は内向的な性格だったし、身体も声も小さかったので、外で遊ぶのは苦手でした。だからこそ家で、一対一で向き合えるピアノは、性に合っていたんだと思います。音楽が、私の居場所を作ってくれました」。
中学校からは吹奏楽部に所属し、クラリネットを担当。
「部活は楽しかったですが、肺活量が必要で、体力的に大変でした」。
常に、最優先事項は、ピアノだった。
「高校を選ぶときも、早く帰ってピアノを弾けるように、家から一番近い高校を選びました。大学もピアノ科で、ずっとクラシックを学んでました」。
そんな彼女がロックに目覚めたのは、高校生のころだ。
「友達に『東京事変のコピバンをやりたい。キーボードがいないから、弾いてほしい』って頼まれたんです」。
当時はコードが分からず、耳コピもできなかった。「五線譜があるなら弾くよ」と答えたところ、友人はバンド用の楽譜を買ってきた。
「もらった譜面を、一音ずつ完璧に拾って練習しました。今思えば、完全に再現する必要はなかったんですけどね。それまでクラシックしかやったことがなかったのもあって、すごく真面目に取り組みました」。
いよいよ迎えたライブ本番。ステージには、今までにない感動があった。
「クラシックの演奏会だと、演者もお客さんも、かしこまっているんです。もちろん空気で『伝わっているな』って感じることはあるんですけど。ロックのライブは、瞬時に反応があって、『わーっ』と場が盛り上がる。とても楽しかったし、すごいと思いました」。
ライブの面白さに目覚めた彼女は、以後、様々なバンドで演奏をするようになった。「一つのライブで弾くと、別のバンドの人が『次はうちで弾いてよ』って声をかけてくれたんです」。
高校から大学へ進み、年月を重ねると、ライブ活動の機会も増えていった。
「クラシックの勉強と並行しながら、ロックのコード進行などを覚えていったので、頭がこんがらがりそうになった時期もあります」と笑う。
しばらくして、最初に「東京事変のコピバンをやろう」と声をかけてきた友人から「一緒にオリジナルバンドをやらない?」と誘われた。
「そのころには、コードが分かるようになっていたし、曲も作れるようになっていました。だからその子とバンドを組んで、大学を卒業したあとは、みんなで音楽をするために上京しました」。

元々、上京したいという意志があった。
「いつからでしょうね。『大阪より広い世界に行きたい』って思っていました。アメリカに憧れて、ジャズピアノを習いながら、ボストンにホームステイした時期もあるんです」。
しかし、何かが違った語る。
「なんかしっくりこなくて、『アメリカじゃないな、どこかなー』って考えて、東京に来ました。私、いつも感覚で行動しているんです。やっぱり東京は刺激が多くて、人も多くて、上京してよかったと思います!」。
バンドやユニットでの活動を経て、ソロへ転向
上京後は、キーボーディストとして、様々な活動を行った。
「メインのバンドでの演奏はもちろん、他のバンドのサポートに入ったり、色んなことをしました」。
転機となったのは、女子ふたりでユニットを組んだことだ。
「私はピアノしか弾けないし、ボーカルの子は歌うことしかできなかったんです。お互いに足りないものを補う感じで、楽しくやってました。でも、ある日、相方が『ライブに出たくない』と言い出してしまって」。
既にライブの予定が決まっているのに、まったく準備が進まない。焦った彼女は、ライブの主催者に相談した。
「『あこちゃん一人でもいいよ』って言われました。『何でもいいから出てくれ』って。『じゃあ、やってみるか』と思いました」。
アットホームな会場だったこともあり、腹を括った。
「人生初の弾き語りライブでした。めっちゃ緊張して、声も震えましたが、なんとか一人でやり切りました。今振り返ると、ひどい出来でしたが、お客さんからの反応は悪くありませんでした」。
何より、自分が作った曲や歌詞を歌えることが、楽しかった。
「曲を作ったときにこめた思いや、その曲でやりたかったことを、そのまま表現できるんですよね。ずっとバンドやユニットのボーカルに託していて、それがよかった部分もあるけど。『自分でアウトプットできるって、こんなに楽しいんだ』って驚きました」。

ソロでの活動に魅力を感じた彼女だったが、思い通りの表現をするためには、技術が必要だ。早速、ボイストレーニングに通い始めた。
「子どものころからカラオケは好きでしたが、バンドでボーカルをしようと思ったことはありませんでした。私は声が小さいので、音に負けちゃうんです。コーラスとかはしてたけど、どうしても埋もれちゃって。でも、ピアノ一本なら、ちょうどよく歌えることが分かりました」。
同時に、ソロとしてのオリジナル曲を増やしていった。
「自分が本当に歌いたい曲を作ろう、って思いました」。
ピアノ弾き語りでの音楽活動を本格化
2020年1月、いよいよソロとして本格的に音楽活動を開始した亜ノあこだったが、コロナ禍に巻き込まれた。
「やるぞ!と決めて、最初のライブは甲府だったかな。5月くらいから東京でのライブを決めてたんですが、全部、無観客配信になっちゃいました」。
逆境のなかでも地道に活動を続け、21年1月17日、井荻チャイナスクエアにて初めてのバースデーワンマンライブを開催。
「ファンの方が『ワンマンをやってほしい』と言ってくださったんです。いつも応援してくれる方々への恩返しとして、皆さんが満足してくれるものを届けたいと思いました。『私の誕生日なんかに来てもらってすみません』って気持ちもありましたが、無事に開催できてよかったです」。
一年後の22年1月19日には、真昼の月 夜の太陽にて2周年バースデーワンマンライブを決行した。
「ずっとバンドでやってたからこそ、私ひとりのためにこれだけの人が来てくれることに、感動してしまいました。『私、こんなに脚光浴びていいんですか?』みたいな」。
さらに7月19日、1stアルバム『mira mila』をリリース。同会場にてレコ発ワンマンライブを行った。
「本当は、21年のワンマンのとき、アルバムを出す予定でした。でも、納得のいく仕上がりにならなくて、延期したんです。ぴったりのアレンジャーさんを探して、制作に約半年の時間をかけて、やっとお届けできました」。
アルバムの音源は、ほとんど打ち込みで制作されており、弾き語りは一曲しか収録されていない。
「私、EDMとか、レディオヘッドがめっちゃ好きなんです。このアルバムには、やりたいものを凝縮しました」。
細部までこだわって制作した10曲のなかで、特に推している曲が『暁』だ。
「この曲は、敢えて、自分でピアノを弾いていません。アレンジャーさんに『全部とっぱらって、改めて音をつけてほしい』とお願いしたら、歌詞とメロディが生きるようにピアノを弾いてくださいました」。
彼女は、「どうしても自分はピアノを弾きすぎてしまう」と語る。
「バンドだったら『この曲はドラム叩かないで』なんて言えないですよね。そういう意味でも、ソロだからこそやりたいようにやれたなって」。
『暁』は、歌詞の内容にも、思い入れがある。
「友人を励ます、というとおこがましいけど。大事な友達に寄り添って、ちょっとだけ背中が押せるような曲にしたいなと思って作りました」。
音楽とともに、自分のなかに眠る可能性を楽しむ
ソロ活動を始めてからの2年間を、「人生で一番充実している」と語る亜ノあこ。2022年11月現在は、2ndアルバムの制作にとりかかっている。「これからは、年に1枚くらいのペースで新作をリリースしていきたいです」。
現時点で、ソロとしてのオリジナル曲は、30曲ほどだ。
「曲を作るときは、まず、歌詞を書きます。テーマや伝えたいことが決まったら、それに合うメロディとコードを、同時進行でつけていきます」。
楽曲には、「自分にこんなことを言ってあげたい」という思いが反映されることが多い。
「幼いころ、母に『自分がしてもらいたいことを他人にしてあげろ』と教わりました。それと同じで、私が言われたいことは、他の人も言われたいかなって。曲を書くときも、『私はこういう曲が聴けたら嬉しい』っていうのを大事にしています。自分に向けて歌っている感じもありますね」。
23年1月には、3回目となるバースデーイベントを企画している。
「次はワンマンじゃなくて、仲のいいアーティストを呼んで、わいわいやろうかなって思ってます。トークライブに近い感じですね。いつもと違う趣向を楽しんでもらえたら嬉しいです」。
他にも、イベントの予定が目白押しだ。
「22年4月から、12ヵ月連続でツーマンライブをすることを目標にしてきました。達成出来たら、23年4月に、集大成としてワンマンをやりたいと思っています。2ndアルバムが完成したら、レコ発ライブもしたいですね」。
やりたいことは、まだまだある。
「去年から小笠原村で歌わせてもらったり、福岡や名古屋へ遠征したりと、活動範囲が広がってきました。大阪にも歌いに行きたいです。もっと上手くなりたいし、良い出会いがあれば、バンド活動もしたいです」。

他のアーティストのサポートとしてピアノを演奏する機会も増えており、やりがいを感じている。
「特に、普段はカラオケで歌っている方に依頼してもらったときは、『カラオケより良い演奏をしなきゃ』って、気合が入ります」。
スケジュールが空いている限り、依頼を引き受けている。「基本的に、お誘いをいただいたら断りません。お気軽にどうぞ!」。
そんな彼女の夢は、フジロックに出演することだ。
「コロナ禍になる前は、毎年5つはフェスに行っていました。特にフジロックが好きです。メインステージじゃなくて、小さいステージでいいから、いつか出たいですね」。
そのためにどうすればいいのか、考える日々を送っている。
「5年後、10年後の自分はどうなっていると思いますか?」と訊ねると、彼女は首を傾げた。
「5年前は、まさか今、自分が歌っているとは思いませんでした。私は今も、全然、自分のことが分かっていないんですよ」。
それは、歌についてだけではない。
「最近、よくトークイベントに呼んでもらってるんですが、もともと喋るのはそんなに得意じゃありませんでした。でも、出演を重ねるうちに、『私はこんなに喋るの好きなんだ』って気づきました」。
自発的にライブを企画するようになったのも、ソロ活動を始めてからだ。
「バンド時代は、リーダーが全部やってくれるから、私はキーボードを弾いてただけでした。自分でイベントを企画して、人を集めて、連絡するなんて、初めてのことばかりですが、意外と上手くやれています」。

周囲の人や、環境によって、自分の新たな一面が引き出されていくことを楽しんでいる。
「きっとまだ、私も知らない可能性があると思うんです。だからまだ『私はこういう人間です』『ここが強みです』って言い切ることはできません。これからいろいろ挑戦していくなかで、分かっていったらいいなって」。
幼少期からピアノを習い、ロックバンドでキーボーディストとして活動してきた彼女の音楽遍歴は、ベテランと呼んで差し支えない。しかし彼女自身は、「まだまだこれからだ」と考えていた。
「昔からやってきたことは、自分のなかに残っています。ゼロではありません。でも今の私は、2020年にデビューした新人ぐらいの気持ちです!」。
これだけ長く音楽を続けているにも関わらず、これほどフレッシュな気持ちを持ち続けていられるのは、素敵なことだと思った。
text:Momiji
INFORMATION
2023.1.19(Thu) 亜ノあこバースデーイベント
[会場] 井荻チャイナスクエア(東京都杉並区下井草5-18-7)
[ゲストボーカル] 吉澤里美、花桐はづき、新貝紋加
自主企画ツーマンライブ
2022.12.10(Sat) w/齊藤真生 2023.1.21(Sat) w/ムラタトモヒロ
2023.2.11(Sat) w/凪ノ滴 2023.3.18(Sat) w/岸川歩紀
[会場] 中野ピグノウズ(東京都中野区新井1-14-16 第5B-113号)
1st Album 『mira mila』
隅々までこだわって制作した、ソロ転向後は初となるアルバム。2022年7月19日発売。全10曲、¥3,300(税込)~。他に、ライブ音源CD『ライブは飲み物。』も、1〜7まで販売中。