【SSW16:STORY】パッションハイトーンボーカル・Mei

都内を中心に活動しているピアノ弾き語りシンガーソングライター、Mei(メイ)。幼いころから歌手を志していた彼女は、オーディションを機に作詞作曲へ取り組み、19年春から本格的に活動を開始した。コロナ禍にもめげず、成長を続ける彼女の夢を聞いた。

幼いころからの夢と、現実のギャップ

神奈川県出身のMeiは、歌うことが得意な子どもだった。

「物心ついたころには、家族から『歌うの上手だね』と褒めてもらっていました。とても嬉しくて、自然と『歌手になりたい!』と夢見るようになりました」。

3歳から4歳までエレクトーンを、4歳から中学校卒業まではクラシックピアノを習った。「10年ほどソルフェージュを学んだことで、音楽の基礎知識を身に着けることができました」。

中学校では軽音部に所属した。「友達に『ボーカルやりなよ』と言ってもらったことがきっかけで、バンドを組んで、ボーカルとして歌うようになりました」。3年生からは、ボイストレーニングスクールにも通い始めた。

高校生になると「学校の外でも歌いたい!」と思うようになった。

「他の高校の子と仲良くなって、4つくらいバンドを組んで、あちこちのライブハウスで歌っていました」。

当時は、東京事変やMY FIRST STORYなど、日本のロックバンドの楽曲を好んでカバーしていた。「今とは全然違って、激しめの曲ばかり歌っていました。何も考えず、趣味でやっていたなぁと思う反面、ただ楽しかった思い出があります」。

 

しかし、高校3年生になり、真剣に進路を考える時期がやってきた。

「周りの友達は、大学へ進学するっていう子が多かったんですけど、私は音楽を続けたいと思いました。だけど、やっていたバンドは次々と活動休止になって、焦りました」。

自分の将来に繋がること、ひいては「音楽で生きていく」ための努力をしてこなかったのではないか、と気づいた。

「同じころ、オーディションなどにも挑戦して、『私の歌のレベルってこんなに低かったんだ』と衝撃を受けました。それまで、いかに小さな世界でやっていたか、いかに視野が狭かったかを思い知りました」。

オーディションに合格し、シンガーソングライターの道へ

己の実力不足を痛感してなお、「プロになりたい」という思いを捨てられなかったMei。彼女に転機が訪れたのは、高校3年生の6月のことだった。

「ボイトレのために通っていたスクールでParade Artistさんとのコラボオーディションがあって、シンガーソングライターを募集していたんです」。

それまで、作詞も作曲も、やってみようと思ったことさえなかった。

「ずっとアニソンシンガーに憧れて、ボーカルだけをやってきました。でも『やれることは何でもやろう!』と心を入れ替えた時期だったので、応募してみました」。

オーディション参加者のほとんどが弾き語りで、オリジナル曲を披露するなか、Meiはカラオケ音源で、スターダスト☆レビューの『木蘭の涙』をカバーした。

「私が元々シンガーソングライター志望じゃないということは、すぐ審査員の方にバレてしまったみたいです。『落ちたかな』と思いましたが、目に留めていただけてよかったです」。

当時を知る事務所関係者は、Meiの合格の決め手を「声だった」と語る。

「歌唱力、表現力というものは練習でどうにかなるけれど、声質は変えられません。彼女のクリアで、伸びやかな歌声に、将来性を感じました」。

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晴れて事務所に所属することになったMei。

だが、打合せで「8月にはライブをする」と言われ、大いに慌てた。

「シンガーソングライターとしてやっていくなら、オリジナル曲を作らなきゃ!弾き語りもしなきゃ!…って、猛スピードで準備しました」。

幼いころから習ってきたピアノや、ソルフェージュで身に着けた知識をフル活用。一ヵ月後には初めてのオリジナル曲を完成させた。

「コードを4つしか使っていないし、今からすると未熟な仕上がりですが、なんとか作り上げることができました」。

以降、半年ほど時間をかけて、オリジナル曲を増やしていった。

一人でステージに立つこと、弾き語りをすることへの慣れも必要だった。

「もともとバンドで歌っていたので、緊張することはないけれど、ステージングや音作りの部分で苦労しました」。

メジャーデビューして、武道館を満杯にできるアーティストになりたい

幾つかのライブに出演しながら準備を整えたMeiは、19年4月から、シンガーソングライターとして本格的に活動を開始した。

渋谷gee-geや横浜mint hallなど各地のライブハウスで演奏し、多いときは、月に15回ものライブを行った。「ライブに強くないとやっていけないので、とにかく場数を踏みました」。

曲作りにも、精力的に取り組んだ。

「事務所から『2日に一曲作る』という課題をもらったりして、がむしゃらにやっていました。『作れない』というのが嫌すぎて、負けたくなくて、ときには期限をオーバーしつつもやり遂げました」。

同年10月、王道J-popの『himawari』をはじめ、ライブの定番だった『アメイロ』『いかないで』の2曲を収録した1st EP『Temporary』を発売した。

 

勢いに乗って、20年5月には、初のワンマンライブを企画。活動開始一周年、さらに20歳の誕生日を記念するライブとなるはずだった。

しかし、コロナ禍のため中止となってしまう。

「代わりに、無料の配信ライブを行いました。たくさんのお客さまに視聴していただけて、貴重な経験になりました」。

だが、ライブの仕上がりには悔いが残った。

「コロナとか、配信になったこととかは関係なく、楽曲にちゃんと向き合えなかったんです。マネージャーさんとか、ボイトレの先生にも頼れず、一人で空回りしてしまいました」。

その悔しさは、新たなCDの制作にぶつけた。

21年7月22日、初のfull Album『Air』をデジタルリリース。八ヶ岳やまびこホールにて、空間の響きを生かしてレコーディングした、こだわりの一枚である。

時世に臨機応変に対応し、走り続ける彼女に、目指すところを聞いてみた。

「メジャーデビューして、長く活躍するアーティストになりたいです」。

大きな夢のひとつが、武道館だ。

「満席の武道館で、自分の声も聞こえなくなるような歓声のなかで歌ってみたいですね。それだけの人に届けられる言葉を語れる人になりたい、ということでもあります」。

そのためにできることを考え、一つずつ取り組んでいる。

「最近は、ライブの本数を抑えて、一回ごとのクオリティを高めようとしています。その日のお客さん全員を魅了して、ファンになってもらえるように、パフォーマンスを磨いています」。

楽曲づくりにも余念がない。

「自分の曲は、まだまだレベルが低いと思っています。メジャーに打って出るためにも、心から歌いたいこと、叫びたいことを探しています」。

美しい歌声の裏側で、熱い情熱を燃やすMei。「常に前を向いていたい」と語る気持ちの強さで、道を切り開いていってほしいものだ。

text:momiji

 

INFORMATION

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今後のライブ予定は、HPからご確認ください

https://mei.paradeartist.com