関東を中心に活動しているギター弾き語りシンガーソングライター、綴璃(つづり)なな。宮城県出身の彼女は、音楽で身を立てることを夢見て、2018年に上京。その音楽的なルーツと、これまでの足跡、さらに今後の展望を聞いた。
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音楽で生きていくことだけが夢だった
宮城県気仙沼市出身の綴璃ななは、音楽に囲まれた環境で生まれ育った。
「私の母は、若いころにバンドのボーカリストをしていました。家では常に鼻歌を歌っていたり、広瀬香美やKiroroなどのJ-popを聴いていたりしました」。
綴璃自身も、気づいたときには音楽が好きだった。
「歌うことはもちろん、テレビで昭和歌謡の特集を見ていました。何故でしょうね、理由は分かりませんが、ずっと好きだったんです」。

幼稚園に入ってしばらくすると、ピアノを習い始めた。
「4歳くらいのころ、外で遊ぶよりも、教室でピアノを触っている方が多かったらしいんです。それを見た先生が、母に『習わせてみたら?』と言ってくださったことがきっかけで、クラシックピアノを始めました」。
小学生になり、中学生になっても、ピアノを続けた。
「中学校ではバスケットボール部でしたね。吹奏楽部もあったけれど、家に帰ったらピアノがあるから、学校では違うことがしたいなと思って」。
2011年3月11日には、東日本大震災で被災している。
「私の地元は被害の大きかった地域です。津波から逃げた記憶、がれきだらけの街、泥をかぶった匂いなど、今も鮮明に焼き付いています。軽く語っていいものではありませんが、自分の人格や音楽に、どこか影響していると思います」。
ピアノから離れたのは、高校1年生のころだ。
「歌を歌いたい、自分の曲を作りたいって気持ちが、すごく強くなったんです。私にとって、ピアノ=クラシックというイメージだったので、新しい楽器が触ってみたくなりました」。
当時よく聴いていた阿部真央などのアーティストにも触発され、ギターを手に取った。
「ギターは完全に独学です。色んな楽曲のコピーから始めて、少しずつ、オリジナル曲も作るようになりました」。
はじめて人前で演奏をしたのは、17歳のときだ。
「仙台のライブハウスで、学校の同級生に誘ってもらった事がきっかけで出演させてもらいました」。
そのころから、「上京して音楽をしたい」という気持ちは固まっていた。
「良くも悪くも、他にないんです。『パン屋になりたい』とか『花屋になりたい』とか言っていた友達が、段々と夢や目標を変えていくなかで、私には『音楽をやりたい』という思いだけがありました。音楽で食べていくんだ、って」。
夢を叶えるべく、働いて資金を貯め、2018年春に上京を果たした。
より多くの人に寄り添う楽曲を届けていきたい
上京後は、東京都内や埼玉県などのライブハウスでライブを重ねた。多い時には、月5~6本ものライブに出演するときもあった。
「頼れる知り合いもいないし、大変だったはずですが、夢中だったのであまり覚えていません。やっと音楽をできる、という喜びの方が大きかったです」。
2019年8月21日には、御茶ノ水KAKADOにて、初の自主企画『真夏の夜の夢』を開催。
「自分の誕生日に合わせて、年齢の近いアーティスト仲間を集めたイベントをしました。初めて自分でライブハウスと連絡をとって、フライヤーを作って、詳細を考えて、ゼロから作り上げたのは、いい経験になりました」。
また、イベント終了後から、アーティスト名を『綴璃なな』に変更した。
「苗字の『綴』は、文章を綴る。『璃』は、宝石に使われる漢字で、水晶だったり、透明って意味があります。『色のない気持ちや、人には見えないものを綴れるアーティストでいたい』と考えて名づけました」。

20年春から世間はコロナ禍に突入したが、めげることなく活動を続けた。
「ライブをしない、ということが本当に嫌でした。最初の自粛要請や、ロックダウンみたいな状況になったとき以外は、休むことなくライブをしていました」。ライブハウスと協力しながら、よりよい方法を模索した。
「予定していたライブが延期や中止になったり、よくしていただいてたライブハウスが閉店したり、落ち込むことが多い時期ではありました。でも周りの方々に恵まれたおかげで、『もうダメかもしれない』と思うこともなく、ポジティブに乗り越えられました」。
しかし少しずつ、行き詰まりを感じていく。
「ずっと『音楽をやりたい』という気持ちだけで活動していました。自分をプロデュースしたり、売り出し方を考えるのは得意ではありません。でも、動かないことには、人に聴いてもらえないよな、と思い始めました」。
さらに大切な友人をなくし、精神的に辛い状況が重なった。
「音楽自体、辞めてしまおうかなとさえ思いました。辞める前に何かしよう、というわけではありませんが、変わるきっかけを求めていたんです。CDの連続リリースに取り組んだりもしました」。
そんな折、Parade Artistを知り、2021年8月から所属することを決める。
「それまでは、上京してから知り合った人や、ライブハウスで繋がった縁のなかで活動していました。新しい展開に繋がればいいな、と思いました」。
以降、女性シンガーソングライターの登竜門とでも呼ぶべきステージに立ったり、メジャーアーティストへの楽曲提供のコンペに挑戦したりと、活躍の幅を広げている。
所属事務所の関係者は、彼女について「感情が優先するタイプで、あまり合理的じゃない」と語る。「だからこそ、マネジメント面でサポートして、音楽に集中できる環境を整えれば、もっと良い音楽を創れるはず」。
22年8月22日には、渋谷gee-ge.にて、バースデー企画を開催。共演にmibuki氏とのうじょうりえ氏を迎えたスリーマンライブ『夜を綴る』は、盛況のうちに終了した。
さらに同夜の模様を収録した初のライブアルバム『46:59:05』を、10月5日にリリース。これまでの歩みを記録する一枚となった。
直近では、Tiktokにカバー動画を投稿するなど、SNSでの活動にも注力している。
「ずっと、自分と向き合うことに重きを置いていました。もっといい音楽を作りたいとか、もっと歌が上手くなれるはずとか。でも、それだけじゃ、知ってもらえる機会は増えません。今後はアウトプットというか、外に向けた活動を頑張りたいです」。
23年春からは、東名阪連続で行われるサーキットフェスへ参加するなど、関東以外でのライブも増やしている。8月には、バースデー企画『瑠璃色の朝に』を開催予定だ。
「前回は自分の名字から『綴』の字を入れたので、今回は『璃』を入れました。また、『夜を綴る』はインプット寄りのイメージでしたが、次は『アクティブに動いていきたい』という思いをこめて、明け方、新しい世界が始まっていくイメージで名づけました」。
さらに、年内にアルバムの制作と、ワンマンライブの開催も視野に入れている。
「次はライブ盤ではなく、しっかり作りこんだアルバムにしたいです。ワンマンも初めてですが、今年一年の集大成として、やれたらいいなと考えています」。
いつかはメジャーデビューして、より多くの人に聴いてもらえるアーティストになることが目標だ。
「暗い話になってしまいますが、心の病を抱えた方と話す機会が多かった事もあり、そういう人を救える活動もできたらいいなと思います」。
綴璃の楽曲には、人生と真摯に向き合う内容の歌詞が多い。
「わりと重たいテーマの曲が多いかもしれないです。でも、人生って、必ずシリアスな出来事が巡ってくるものですよね。私自身はもちろん、そういう局面に向き合っている人に寄り添う姿勢を忘れずにいたいです。『もう無理』と思っている人が『明日、綴璃のライブに行くから、もう一日生きてみようかな』と思ってくれたらいいですね」。
彼女の音楽が、より多くの人の心の支えになることを願う。
text:momiji
INFORMATION
Live Album『46:59:05』他、ライブ会場およびWEB SHOPにて販売中!
ライブ情報は公式サイトにてご確認ください
https://nanatsuduri.paradeartist.com/live