関東を拠点に活動している歌手、髙塚駿(たかつか・しゅん)。大学生の時にクワイアへ参加したことをきっかけに、2016年ごろから本格的な音楽活動を開始した彼は、様々な店やイベントで歌いながら、ボイストレーニング講師、コーラスなどでも活躍している。彼が歩んできた道のりと、今後に描く夢とは。
音楽への想いを募らせた青年時代
静岡県出身の髙塚は、6歳からクラシックピアノを習っていた。
「姉がもともとピアノを習っていた影響で、僕も一緒に教室へ通うことになりました。がっつり曲を練習するというよりは、音感を鍛えるレッスンが多かったですね」
ピアノに触れるのは楽しかったが、2年ほどして辞めてしまった。
「親の教育方針というか、『男なんだからスポーツをした方がいい』みたいな雰囲気があったんです」
後ろ髪を引かれつつ、小学3年生からテニスを始めた。2009年には『ダンロップ全日本ジュニアテニス選手権』の18歳以下男子ダブルス部門に出場。ベスト16の成績を残している。
「高校も大学も、テニスのおかげで進学できました。その道で成功したいなって気持ちも少しあったけれど、やっぱりトップクラスの選手って、別格の強さなんですよ。全国大会で戦っていくうちに、天井は見えていました」
一方で、音楽への想いも燻り続けていた。
「実家にライオネル・リッチーやレイ・チャールズのCDがあって、よく聴いていたんです。ビリー・ジョエルなども好きでした」
心惹かれる音楽を探求するうちに、ゴスペルへ辿り着いた。
「高校のころ、いわゆる美メロのR&Bが流行っていて、そのルーツもゴスペルだと気づきました。大好きな映画の『天使にラブ・ソングを』も、そうです。『僕もゴスペルをやりたい!』という気持ちは日に日に強くなっていきました」
しかし、テニス漬けの生活を送っていた彼には、十分な時間がなかった。
「ほぼ毎日、6時間ぐらいテニスの練習をしていたんです」
高校を卒業し、東海大学へ進んだことで状況が変わった。
「大学のテニス部には、週に一日だけ、午後休みの日がありました。『今しかない』と、気持ちが溢れました。いや、噴火しましたね」
インターネット検索を通じて、Radish Choir(ラディッシュ クワイア)を知った。
「mixiで『ゴスペル』を調べたら、一番に出てきた団体でした。いわゆる社会人サークルですね。事務所は当時、白金高輪にあって、僕の下宿先からは一時間半くらいかかりましたが、毎週のように練習へ顔を出していました」

Radish Choirの活動へ参加するうちに、歌う喜びに目覚めていった。
「もともと、学校の音楽の授業での合唱とか、ハモるのが好きだったんです。ただカラオケに行ったり、人前で歌ったりするのは苦手でした。『自分の歌を聴いてもらう』っていうより、『みんなでハーモニーを作り上げる』というのが楽しかったんです」
しばらくして、Radish Choirを主宰するジャズシンガー・らいらかおる氏に師事するようになった。
「師匠のライブを観に行ったり、本格的に歌を習ったりするようになりました。特にジャズを歌いたくなったきっかけは、マイケル・ブーブレという歌手です。伝統的な楽曲を新しいスタイルで歌っている姿を見て、『僕もこういう人になりたい』と思いました」
すっかり音楽に心を奪われた髙塚は、2年生になると、テニス部を辞めた。Radish Choirの活動を継続しながら、大学でもアカペラサークルに入った。
「和気藹々とした雰囲気で、J-POPをメインに歌っているサークルでした。ハモネプみたいな感じですね。そんな中でも向上心が強い人たちとアカペラバンドを組んで、洋楽をたくさん歌っていました」
20歳の時にはニューヨークへ旅行し、本場のゴスペルに触れた。
「師匠に、現地の音楽関係者を紹介していただきました。その方と黒人街のハーレムで会って、せっかくなので、ボイストレーニングも受けました」
髙塚が指導を受けたのは、グラミー賞17冠を達成したソングライターであるアリシア・キーズ氏のボイスアレンジを担当したこともある音楽家だった。
「指導中に『君は音楽の世界に入るのか?』と聞かれて、正直に『分からないです』と答えたら、『どんな仕事についても歌だけはやめないほうがいいね』と言ってもらったんです。『どんな形でもいいから歌い続けなさい。君はすごく声と耳がいいから』と」
その言葉は、髙塚の心に深く刻まれた。
大学を卒業する時期が近付くと、進路選択で葛藤した。結局は、新卒で建築業界に就職することを選んだ。
「当時は、『普通』のレールに乗りながら音楽をやろうと思っていました。もともと絵を描くことが好きで、建築学科に入学したので、それを生かせたらいいなと」
しかし就職後、配属された部署での業務に、強い違和感を覚えた。
「素晴らしい仕事だとは思うんですが、僕には合いませんでした。でも、人に恵まれたのはありがたかったですね。上司と一緒に現場をまわって、いっぱい怒られながら、大工さん達と話をしました」
ある日、大工の一人から「髙塚ちゃん、これ、やりたくない仕事でしょ」と声をかけられ、「そうですね。思い描いてたのとは少し違いますね」と答えた。
「『本当は何がやりたいの?』と聞かれて、音楽の話をしたら、『そっちの道に行きな』と背中を押してくださいました。『若いんだからやっちゃいなよ、いくらでも修正きくんだからさ』と。その方のおかげで、一歩踏み出すことができました。部長に辞表を出して、『ジャズシンガーになります』と言ったら、すごくびっくりされましたね(笑)」
苦難の日々を超えて
音楽の道へ進む覚悟を決め、会社を辞めた髙塚だったが「20代前半は暗黒期でした」と振り返る。
「生活費を稼ぐために色んなアルバイトをして、気づいたら、音楽をしている時間よりアルバイトをしている時間の方が長くなっていたりして。もし今、僕と同じような選択をしようとしている若い子がいたら『何かしら生活の基盤を作れる仕事に就いて、時間と心に余裕を持った状態で音楽のキャリアを積んでいく方法もある』と伝えたいです」
先が見えないなかでも、らいらかおる氏の付き人として音楽を学んだ。
「師匠と一緒にライブ会場を回って、前座じゃないけど一曲歌わせてもらったり、色んなミュージシャンを紹介してもらったり、歌い方や譜面の書き方を教わったりしました。いい意味で厳しく指導していただきました」
2016年ごろに東京倶楽部本郷店へ出演したことを皮切りに、様々な店で歌い始めた。
「六本木や銀座など、繁華街で歌わせてもらうことが多かったですね。個人的な意見かもしれませんが、男性のジャズシンガーは相当な魅力や実力がなければ需要が少なく、集客も大変です。飲食代に加えてミュージックチャージがかかるので、友達を呼ぶのも心苦しいんです」
音楽の喜びだけが、彼のモチベーションになっていた。
「勉強すればするほど、ステージを踏めば踏むほど、自分が成長していることを実感できました。より良い音楽、良い空間を作って、お客さんに喜んでもらえるのが嬉しかったんです。ぎりぎりのところで、何とかがんばっていました」
17年7月には、Radish Choirの一員として、全国ゴスペルコンテスト『ゴスペル甲子園』のクワイア部門に参加。最優秀賞を獲得した。
「実は15年にも参加していたのですが、結果は準優勝に終わりました。リベンジしようってなって、みんなで一生懸命練習しました。大人の青春でしたね」
長く辛い日々から抜け出せたのは、20代後半だった。
「純粋に、人が怖くなくなったんでしょうね。下積みを経て、業界の人やミュージシャンの知り合いが増えて、お客さんとも自然に喋れるようになりました。『なるようになれ』と思えたというか、自分を取り繕う必要がないと分かったというか。心から音楽を楽しめるようになったんだと思います」
ミュージシャン仲間の紹介で、Festa Music Salonでボイストレーニング講師として働き始めたことが転機となる。
「若いころは『歌で生計を立てるにはステージに立つしかない』と思っていたけど、そうじゃないと気づけました。講師をするとか、誰かのステージでコーラスをするとか、レコーディングに参加するとか、色んな仕事があると知って、希望が見えました」
特に講師業には、やりがいを感じている。
「自分が感覚的にやっていることを言葉にして伝えるのは大変です。お客さんから『こういう声を出したい』と要望された時に、それまでの自分の知識だけでは解決できないこともあって、改めて勉強し直すこともたくさんありました。結果として、自分の歌の上達にもつながっています」
20年初頭から始まったコロナ禍でも、Festa Music Salonの仲間が心の支えとなった。
「何も仕事がなくなった時期に、みんなで情報を共有したり、配信をしたり、助け合って過ごしました。本当に家族のような、かけがえのない居場所ができました」
また、自宅で過ごす時間が増えたことを生かし、ピアノ弾き語りを始めた。
「音楽教室の仲間の一人が、コロナ禍をきっかけにウクレレを練習し始めて、数か月後には配信ライブをしていたんです。『信じられない』と驚きました。『僕も何か始めよう』と思って、昔取った杵柄じゃないですが、ピアノの弾き語りを練習して、実力はまだまだですが、今ではソロライブもできるようになりました」
ローカルな人の輪を広げていきたい
21年3月18日には、1st Single『マタアウマデ』をTOKYO RABBIT RECORDSより配信リリース。テレビ東京系『開運!なんでも鑑定団』の21年4月〜6月期エンディングテーマソングとして採用された。
「ライブ活動を通じて知り合った音楽家兼プロデューサーの方に、『僕の曲を歌ってみない?』とお声がけいただきました。想像もしていなかった世界に関われて、ありがたかったです」
現在はジャズシンガーとして各地のイベントや店舗で歌うとともに、ボイストレーニング講師をしたり、知り合いのミュージシャンのライブやレコーディングにコーラスとして参加したりと、多方面で活躍している。
「パンクしそうになる時もありますが、一つ一つが僕にとって大事な居場所なので、もっと成長して、自分の器を大きくしたいです」
今後の展望はあるのだろうか。
「2026年に、ジャズシンガーとして本格的に活動し始めてから10周年を迎えます。これを機に、粗削りでもいいから今の自分を残しておこうと思って、CDの制作を企画しています」
ジャズのスタンダードナンバーを中心に、ミュージカルの楽曲など、自分の好きなジャンルを収録する予定だ。
「僕が初めて東京倶楽部さんに出演した時、ご一緒したピアニストさんと制作します。名刺代わりの一枚になればいいなと思っています」
5年後、10年後はどんな自分になっていたいですか?と聞いてみた。
「ライブツアーをやりたいですね。大それたものじゃなくて。日本全国のお店に行って、ちょっとした演奏をして、色んな人に出会って、色んな物を吸収して、美味しい物を食べる。そういう旅がしたいんです」
まずは、地元の静岡県からスタートしたいと語る。
「もともと、人と何かをするのが好きなんです。インターネットやSNSで世界と繋がるのもいいけれど、ローカルな人と人とのコミュニティも大事にしたいです」
彼の音楽活動のテーマは「和み」だ。
「人生で悩むことはいっぱいあると思うけれど、僕のライブに来てもらった時間だけは、穏やかに過ごしてほしい。自分のキャラクターも弟気質というか、末っ子な感じなので(笑)。みんな穏やかにまとまる、和みの空間を提供できればと思っています」
ジャズの間口を広げたいとも考えている。
「僕はジャズ以外でも、わりかし何でも歌う人なので、ポップスよりの曲からでも聞いてもらって、『ジャズも良いな!』みたいに感じてもらえれば嬉しいですね」
ジャズに興味がある方や、癒しを求めている方は、彼のライブに足を運んでみてはいかがだろうか。
文:紅葉 カバー写真:けんいち
INFORMATION
2025.8.3(日) 『Move On vol.2』
[会場] 池袋Living bar FI5VE(東京都豊島区南池袋1-8-21)
※shunrinaとして出演。Sold out!
2025.8.28(木) 『Jazz Live』 19:00 開演
[会場] 東十条 Piano Bar まつ喜(東京都北区東十条4-9-3)
[料金] 2,500円 ※お客様も歌えます
[出演] 小泉明子(pvo),髙塚駿
2025.9.13(土) 『サブ楽器の会』
[会場] 神楽坂u-ma(東京都新宿区矢来町132ー5)
[出演] 荒川麻衣子(vo etc.), 下梶谷雅人(gt. etc.),髙塚駿
[詳細] comming soon…